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1970年


昭和45年 6年生。
「放送係」になってしまい、放送室のマイクで、朝礼の際の指示をだすのに、緊張しまくって上手くしゃべれず、「放送事故」的状況になる。
そのときの、おおぜいの先生生徒の、非難するようなバカにするようなきつい視線が向けられた場面を、よく思い出す。
トラウマ。
その日以降、そういう状況から逃げることが最善だと考えるようになったと、思う。

 

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